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(たけうちとおる)
栄光の架け橋 第15回
第15回は株式会社 松原紙工 代表取締役
山本清香さんにお伺いしました。

―松原紙工についてお聞かせください
昭和33 年より和洋紙販売を目的に創業し現在に至ります。紙卸商としては歴史の浅い方の会社だとは思いますが、創業者の先代社長は色々なアイデアで弊社オリジナルの商品化を実現し、専門誌の巻取紙をはじめ、印刷用紙や刺繍用不織布などの開発で数々のヒット商品を生み出したことにより今の松原紙工があります。
―今、力をいれていることは何ですか?
今というよりずっとそうですが、精確な紙の断裁と丁寧な包装は創業者の「紙屋としての基本理念」でありますから、機械のメンテナンスや作業、運搬などに手を抜くことはありません。実際、日々紙を一番扱う印刷機オペレーターの方々からは絶大なる信用と安心のお言葉を多方面から聞かせて頂いております。経営者の皆さん、価格も大事ですが今一度、現場の意見や声を聞いてみられてはどうでしょうか。
二つ目は、無駄を減らし効率化を図ることです。今、多くの印刷会社さんは紙屋に対して以前よりも増して迅速な納品、且つ安値を求められています。紙の卸売業で特に一般の印刷用紙の場合、断裁作業以外は大した付加価値も無く、商品を右から左に動かす商売ですから重たいわりに薄利なのです。ですから、ここ近年は会社内を集約しながら出来るだけ少人数でこなせる状態へと進めています。
あともうひとつは、紙以外の商売ですね。既に数年前から色々な分野で投資してきたものが多少は収益となってきていますので、今後いかに伸ばせるかが課題です。
―いつも心掛けていることは?
お客様の要望に対応するのは、どの会社もがしている当り前の努力ですから、敢えて言うのなら弊社のモットー「仕事は楽しく」です。ミスの無いよう緊張感を持つのも大事ですが、納期や時間に追われて吊り目の顔より、社内はどこも皆が笑顔で対応の方がいいですよね。
―遊文舎の印象はいいがですか?
私は、まだ少人数での「木原印刷」時代から出入りさせて頂いていたので、現在の遊文舎さんは本当に目覚しい発展をされたという印象です。創業者である木原会長の夢や思想が進歩を遂げ、今は御子息が社長として受継がれている訳ですから、今後も期待される企業だと思っています。これからも宜しくお願い致します。
(聞き手::dandy)
印刷こぼれ話 Part. 11
アナログ時代○○な話
版下と色指定
印刷の世界から版下が消滅して早や25年近くなる。今、DTP に関わっている人たちの中で版下を知っている人は少数になった。
デザイナーはレイアウトをドラフター(製図台)を使って紙ベースに作成し、それにしたがって写植指定をし、材料が揃った段階でフィニッシャーが版下に仕上げていく。ほぼ分業で印刷版下を作成していた。線一本を引くにもロットリングやからす口(ぐち)(製図用のペンで0.1mm や0.3mm などの決まった太さの線が引ける)の技術が必要だった。完全に白黒の世界で仕事をし、完成した版下にトレーシングペーパーを被して色指定をしていく。これがなかなか時間のかかる大変な作業だった。カラーのサインペンでアバウトに色を塗り、そこにC30,M40などとカラーチャート(カラーの見本帳)を参考にしながら色を指定していく。B 3 サイズ位になると2 〜3 時間かかる物もあった。
この作業も経験を重ねていくと2 色の掛け合わせ位ならチャートを見ないで指定が出来るようになっていく。色が頭の中に入っているのだ。3 色の掛け合わせもチャート無しで大体分かるようになる。経験とはたいしたものだと思う。
下記の写真はコピーなどを版下に貼っておき、プリントやポジフィルム等にパーセンテージを指定したものを製版屋さんに渡して製版工程ではめてもらう事になる。あらゆる色が想像の世界でなりたっていた。指定色も10%きざみの単位でしか使えなかった。かけだしの頃5 %刻みで指定し、製版屋のおっちゃんに「こんなもん出来るかぁ!」と怒られた。DTP から始めた人たちのように色を着けてみて画面を見ながら変えるなんてありえない世界だった。それゆえ一発勝負の真剣勝負で仕事をしていたように思う。ただ、今のスタイルでは味わえない楽しみがあった。それは製版屋さんから色校正があがってきてイメージ通りの仕上がりになっていた時、この時ばかりは心の中で「よっしゃ〜」と叫んだりもした。今の仕事の中では味わえない醍醐味と快感がそこにはあった。
そんな仕事をしていたせいだろうか、今、DTP から始めた人たちの仕事を見ていると「ゆるいなぁ〜 そんなかったるいやりかたして!」なんて思ってしまう事がある。きっとオヤジのひがみなんだろう(笑)はたまたオッサンの愚痴かぁ〜!
(記:風帆)