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遊文舎の歴史と印刷技術

●遊文舎のルーツは、
出版および印刷である。

1969年4月大阪吹田市にて、木原基彌が創業した。

当時は、京都大学や大阪大学の語学テキストを印刷していた。

先輩や友人にドイツ語教師が多く、おもにローザ・ルクセンブルグ、ヴァルター・ベンヤミン、エルンスト・ブロッホなどの著作を印刷し、出版した。

メジャーな教科書会社では取扱われなかった本たちである。

創業当時は、組版機が東和タイプライター2台、印刷機が「ゲステットナー」1台、手動断裁機1台というごく簡素な設備であった。

当時のタイプは、イロハ順に並んだ活字盤から文字を探しだし、アームに挟み持ち上げて「エイヤッ」と、ロウ原紙に打ち込む。力が弱ければちゃんと印字されないし、強すぎると原紙に穴があいてしまって、それまでのすべてがオシャカになってしまう。文字通り力加減の勝負であった。

印刷機は卓上型の謄写印刷機。タイプ原紙をドラムに巻きつけてガラガラと回していくが、2枚給紙すると原紙がやぶれてしまったり、300枚も印刷すると皺になったり…で、また一からタイプを打ち直さねばならない。当時は、「軽印刷」とよばれるこのようなジャンルが急速に普及した時代であった。

いまから考えると、品質的にはずいぶんひどいものであったが、教師・学生からの印刷へのクレームは全くなかった。本の中身の価値が第一で、印刷精度は文字が判読できればよし、という熱い時代の風が吹いていた。

以降、タイプ印刷=謄写版印刷から、手動写植印刷=オフセット印刷、電算写植(コンピュータ)印刷へ。DTPの登場による文字と画像の統合、従来の製版プロセスをジャンプしたCTPシステムへと、遊文舎も印刷業界のめざましい技術変化にともない、急速に進化してきた。

●翻って、世界の印刷の歴史を
ざっとふりかえってみる。

印刷としては、隋から唐への7世紀ころの中国が発祥の地であるといわれる。

日本では、770年に印刷されたとされる〔百万塔陀羅尼経〕が、現存の最古の印刷物として、法隆寺や国会図書館に残されている。6年の歳月をかけて100万巻印刷したというから、私たちの想像を絶する。江戸時代に熟成していった木版印刷技術は、版木に彫って墨をつけ印刷したものであるが、この経文の印刷方法については銅版印刷説、木版印刷説などあり、いまだ判明していないらしい。

次に、11世紀なかば活字も中国で発明された。粘土を焼いてつくられたそうだが、朝鮮では1230年代に銅活字を用いて印刷した記録もあるとのこと。

そして、グーテンベルクによる「活版印刷」の発明である。ヨーロッパ中世ルネッサンス期の火薬・羅針盤・印刷術の3大発明。グーテンベルクは、鉛を成分とした活字鋳造技術から『42行聖書』を185部印刷したという。

彼の活版印刷技術の発明により、一人ひとりの人間が書き写して作られていた書物が、一挙に大量に印刷されるようになり、1450年から50年間に、約250都市1000軒を超える印刷所が出現し、30,000種、推定900万冊の本が印刷されたという。

グーテンベルクの印刷技術の発明は、一部の人に独占されていた書籍の恩恵=知識を広く多くの人に与え、産業を発展させ、宗教改革というヨーロッパ世界の一大変動をもたらし、フランス革命や、21世紀の現代社会にも大きく寄与していく。

●DTPエキスパート府下トップ
日々研鑽する社風

私たち遊文舎は、このような歴史を動かし時代を変革していく力、印刷技術の文明発展への貢献という社会的使命を矜持とし、印刷の過去から学び、現代に生きる人々や社会と印刷のかかわりを考えるなかで、たゆまぬ進化をつづけていきたいと希う。

現在のすべてデジタル化した印刷工程のなかで、印刷物はより高速・高品質・短納期を追及している。その高度な印刷技術を応用し、さまざまに展開して、社会=お客さまのニーズの先にあるものを提案し、実現していく、それが私たち印刷業に携わる者の歓びであり、社会貢献でもあるだろうと考えている。

その努力の一つとして、遊文舎におけるDTPエキスパートの有資格者25人(2014.10月)がある。
 DTPエキスパートは印刷メディア設計のスーパーバイザーを認証する超難関制度で、遊文舎では営業および管理職全員の取得を必須としている。大阪府下の印刷業では現在のところ遊文舎が最も多くの合格者を有しており、彼らを先頭に社員一同日々研鑽というのが、われらが社風である。



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