2009年8月18日
福澤諭吉と緒方洪庵

盆休みの1日、「福澤諭吉展」に出かけた。
東京・福岡・大阪・神奈川の順に全国的に開催中。
「慶応義塾150周年記念」行事だが
大阪では「大阪生まれ、適塾育ち」
神奈川では「すべては横浜にはじまる」
と、開催地元へきっちりアピールされ
さすが1万円札の実学者、福澤諭吉展だけある。
彼の大阪とのかかわりは、適塾での研鑽の青春と
師、緒方洪庵との出会いに尽きると思った。
適塾生の勉強は、過激といえるほどはげしいものであったようで、諭吉は「凡そ勉強ということについては、このうえにしようも無いほど勉強した」と述懐している。
私は今年5月に、阪大同窓会講座「適塾とその周辺を訪ねる」に参加した。
当日は、阪大大学院の村田路人教授が案内くださり
洪庵の手紙や塾生の席次表など、貴重な資料も見せていただいた。

適塾の指導要領は
「人の為に生活して己の為に生活せざるを医業の本体とす」
とされており、洪庵とその夫人八重は、医療と学問と教育において
それをみごとに実践した。
現代の医療従事者には耳の痛いところだろう。
八重さんは写真でみると、とても可愛い顔の人だった。
身体の弱い洪庵を支えて、患者の面倒もよく見
9人の子を立派に育てあげた。
塾生たちにも優しいが、ルール破りに対してはときに破門など
なぁなぁの洪庵より厳しく接したそうだ。
ここでも「昔の人のほうが偉かったなぁ、とても敵わない」と痛感。
洪庵は、福澤が咸臨丸に乗ると相談したとき
「もう少し若ければ、わたしも行きたかった」と残念がったという。
54歳で没するまで、向学の気に燃えていたその精神を
万分の一でも見習いたいと、心から思っている。

「客座敷」(明るい中庭に面している)

「塾生大部屋」(1部しかない辞書を奪い合って勉強したヅーフ部屋の隣)
夏はシラミやダニだらけで、殆どの塾生がふんどし一丁だったそうだ

